美味しい物は高い

法事とは、お参りがメインではなく、その後の飲み食いがメインである。と、言ってみたり。こんばんは、時塔です。
まぁ今日はお寺さんがちゃっちゃとしてくれたんで、お参りはスムーズに終わり過ぎて時間が余り過ぎたぐらい。
で、ご飯ですよ。中華ですよ。海鮮料理コースですよ。
――美味しかったな〜・・・。最初から最後まで美味しかったな〜・・・。
でもその後でレシートを見せてもらって愕然としたのはここだけの話・・・。


  • 題名未定(第12回)

「こじつけとは言っても、ちゃんと完成してるんだよね、歴史研究は。これがその成果の証、学域歴史年表(1巻)っ!」
花蓮は本棚から、また本を取り出し掲げて見せた。学域歴史年表というその本はかなりの分厚さだ。だがその状態は、紙が日焼けしたのか少し変色している。
「えっとね、確かこのページ。学域設立以前の……このページ! これを見て」
花蓮はぱらぱらとページをめくると、目的のページを開けて義和の前に置いた。
義和は開かれたページにゆっくりと目を通す。そこには、以下のように字が綴られていた。
――学域設立以前、古くは奈良時代より(それ以前の説もあり)、この地域は小さな集落が生まれては消え、生まれては消えを繰り返してきた。
集落が生まれたのは、ここが山の中に唯一あった平地であったゆえであり、林業などを生業とするには最高の環境だったからである。だが、その集落は何時しか消えていたと言う。
そして空いたこの地に、また人が入って来て集落を作った。環境が良いと言うのは良く知られた事実だったからである。だが、この集落も何時しか消えていた。
それを延々と繰り返していたのである。
ここで1つ追記する事がある。集落が消えたとは書いたが、集落が丸ごと消えたと言う訳ではない。
ある時は住人が全員いなくなっていたり、ある時は集落が何者かに襲われて全滅していたり、ある時は住人達が集落を捨てたりと、様々な結果により集落は消えたのだ。しかしながら、集落全体が消滅していたという記述も存在はしている。
さて、以上に挙げた事柄から、この地は神隠しが起こったり、怪物が出るという噂によって忌み地とされた。
そのレッテルがやっと貼られたのは、江戸時代中期になってからである。それ以後はこの地に近づく者も滅多におらず、噂のような騒ぎはほとんど起こらなくなっていたという――。



さーてさて、何とか続いてる「題名未定」。まだまだ続きます。そろそろ今までのを纏めないと恐ろしい事になりそうですが、そうも言ってられなかったり・・・。
Fate読参はやっと結果が上がりそうだし、私はそろそろ別件に手を出さないといけないんで・・・。
恐らく「題名未定」の1日の量も少ないままだろうし、纏めるのも隙を見てになりそうです。でもちびちびとは続けますんで呆れずに見てくださると幸いです・・・。